リチウム欠乏がアルツハイマー病を起こす?

驚きのNature論文
加藤忠史 2025.08.17
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リチウム欠乏とアルツハイマー病の発症

最近Natureに掲載されたリチウム関連論文Aron et al, Nature. 2025 Aug 6)がSNSをにぎわせているので、さっそく読んでみました。「リチウム欠乏とアルツハイマー病の発症(Lithium deficiency and the onset of Alzheimer’s disease)」と、タイトルの短さがそのインパクトを更に強めている感があります。責任著者であるハーバード大学のBruce A. Yankner教授は、アミロイドβが神経毒性を持つことを発見したアルツハイマー病研究の先駆者。いかにも凄そうではありませんか!

死後脳の微量金属解析

論文は、患者死後脳の解析から始まります。アルツハイマー病患者および軽度認知機能障害患者の死後脳・前頭葉で27の微量元素を測った結果、リチウムだけが共通して低下していたのです。小脳では差は見られませんでした。

アミロイド斑にリチウムが集積

次に、Laser ablation (LA)-ICP–MS(本文のLaser absorption (LA)-ICP–MSは誤りと思われます)という、試料表面をレーザーで微粒子化(ablation)して質量分析で解析する方法により、アミロイド斑の周りにリチウムが集積していることがわかりました。

さらに、アミロイド前駆蛋白(APP)のトランスジェニックマウスの脳でも、アミロイド沈着部にリチウムが高濃度で存在し、他の部位ではリチウム濃度が低下していることがわかりました。(このトランスジェニックマウスは、ヒトアミロイド前駆蛋白(APP)を過剰発現したもの。) このことから、リチウムがアミロイド斑に吸着された結果、脳内でリチウムが欠乏しているのではないかと考えられました。(最初の実験では、脳ホモジェネートを使って測定しているので、このメカニズムでは前頭葉のリチウム低下は説明できないような気もしますが…。)

リチウム欠乏でアミロイドβ沈着・リン酸化タウ蓄積

APPトランスジェニックマウス(前述のマウスと、もう1系統別のAPP過剰発現マウス(3xTgマウス))にリチウム欠乏食を与えると、アミロイドβの沈着が増加しました。野生型マウスでも、リチウム欠乏により、アミロイドβ42(病原性の高いアミロイドβ)が増加しました。(リチウムを欠乏させた野生型マウスでアミロイド斑ができたというわけではないということです。)

リチウムを欠乏させた3XTgマウスでは、アルツハイマー病のもう一つの病理である、リン酸化タウも増加していました。また、記憶・学習試験(新規物体認識試験とY迷路テスト)でも低下がみられました。また、リチウムを欠乏させた野生型マウスでも、記憶・学習の低下がみられました(こちらは新規物体認識試験と、なぜかモリス水迷路)。

3xTgマウスの海馬で単一核RNAシーケンスを行い、リチウム欠乏食と通常餌を比較すると、広汎な遺伝子発現変化がみられ、最近報告されたアルツハイマー病患者の生検脳試料での結果(そんな研究があったとは驚きました。正常圧水頭症[最近はハキム病というようですが]で、脳室シャント手術の際に採取された試料のようです)と重なりがみられました。

リチウム欠乏3xTgマウスでは、シナプスの減少、ミエリンの減少などがみられ、ミクログリアではアルツハイマー病関連遺伝子の発現変化がみられ、ミクログリアが活性化していました。

リチウム欠乏3xTgマウスでは、GSK-3βが活性化しており、GSK3β阻害剤の投与で、ミクログリアの異常な活性化を抑えることができました。

オロト酸リチウムの効果

イオン化の低いリチウム塩であれば、リチウムがアミロイドβに捕捉されにくいと考え、炭酸リチウムよりも導電率が低いオロト酸リチウムに注目しました。Equilibrium dialysis binding assay(平衡透析結合法)という試験管内の実験で調べたところ、オロト酸リチウムの方が、リチウムがアミロイドβに捕捉されにくいことがわかりました。

2種のAPPトランスジェニックマウスに低用量のオロト酸リチウムと炭酸リチウムを投与すると、オロト酸リチウムの方がリチウムがアミロイドβに結合しにくく、脳実質のリチウム濃度がより高くなりました。3xTgマウスにオロト酸リチウムを投与すると、アミロイドβの沈着とリン酸化タウの蓄積を防止しましたが、炭酸リチウムは効果がありませんでした。シナプス、ミエリン、ミクログリアへの効果、および記憶学習への効果も同様でした。

野生型のマウスに低用量のオロト酸リチウムを投与すると、加齢に伴うミクログリア増殖、ミクログリアによるアミロイドβ42分解能の低下などを改善させました。オロト酸リチウムは、加齢に伴う樹状突起スパインの減少、記憶学習の低下を改善しました。

結果はここまでです。

微量元素としてのリチウム

本研究の興味深いところは、微量元素としてのリチウムに注目したことです。

日本でも、水道水中のリチウム濃度が少ない地域では自殺が多いといったデータが繰り返し報告され、微量元素としてのリチウムが生体に必須であり、これが欠乏すると何らかの精神変調を来すのではないかと考えられてきました。動物実験でも、リチウム欠乏食を与えられた動物で、死亡率増加、生殖機能や行動の異常などが報告されています。僕の研究室でも、以前、リチウム欠乏マウスの研究をしようかという話になったこともありました。しかし、治療に使うリチウムと微量元素としてのリチウムでは、濃度が3、4桁(100~1000倍)違います。重要な研究ではあるのですが、双極症とは直接関係のない、寄り道のような研究ということもあり、結局やらずじまいでした。その後、他の研究者からも、目立った論文は出ていなかったと思います。そんな中で、このように、まだまだ研究の少ない微量元素としてのリチウムの研究が、こうして突然脚光を浴びたことには驚きました。

アルツハイマー病にリチウムは効くのか

リチウムの作用機序として、イノシトールモノフォスファターゼ阻害作用とGSK-3β阻害作用の2つが最も有力です。このうち、GSK-3βが、アルツハイマー病の病理の中心である、タウ蛋白のリン酸化酵素であることを突き止めたは、理研の同僚だった高島明彦先生です。そこで、GSK-3β阻害作用を持つリチウムが、アルツハイマー病に有効ではないかと考えられて臨床試験が行われ、有効性が示唆されています

ただし、リチウムがGSM-3β阻害作用を持つのはmM単位の濃度。微量元素レベルのμMオーダーで効くとは考えられませんので、今回のデータと関係があるとは考えにくいでしょう。

気になるオロト酸リチウムのデータ

ということで、面白い論文ではあるのですが、気になる点が色々残る結果となりました。

最も気になるのは、炭酸リチウムよりオロト酸リチウムの方が、リチウムがアミロイドβに結合しにいから効くのだ、というロジックです。

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